谷根千周辺_岡倉天心記念公園 [小旅行]
よみせ通り商店街を道灌山通り側から戻り、よみせ通り商店街のアーチを過ぎた先にある案内地図板のあるところを、左折し進むと公園に突き当たりました。
(20100929-o1)
入口の所には「東京都指定旧跡 岡倉天心宅跡 旧前期日本美術院跡」の案内板がありました。
(20100929-o2)
案内には、「日本美術院は明治31年(1898)岡倉天心が中心になって「本邦美術の特性に基づきその維持開発を図る」ことを目的として創設された民間団体で、当初院長は天心、主幹は橋本雅邦、評議員には横山大観、下山観山らがいた。 活動は絵画が主で、従来の日本画の流派に反対し、洋画の手法をとり入れ、、近代日本画に清新の気を与えた。 この場所に立てられた美術院は明治31年9月に竣工した木造二階建で、南館(絵画研究室)と北館(事務室・工芸研究室・書斎・集会室)からなり、附属建物も2,3あったといわれている。明治39年(1906)12月に美術院が茨城県五浦に移るまで、ここが活動の拠点となっていた。 昭和41年(1966)岡倉天心史跡記念六角堂が建てられ、堂内には平櫛田中作の天心坐像が安置されている。」と記されています。
(20100929-o3)
六角堂の前には、岡倉天心史蹟記念堂建設委員会の讃辞が記された銘板が置かれてます。
(20100929-o4)
六角堂の扉には、厳重に鍵がかけられています。
(20100929-o5)
ガラス越しに岡倉天心坐像を拝見いたしました。
岡倉天心像は、平櫛田中が東京美術学校(現 東京芸術大学)からの依頼で制作され、現在も東京芸術大学内に安置されている座像の原型の腹から上半身が残された旨、岡山県市原市立田中美術館のホームページに記されていました。
(20100929-o5)
岡山県市原市立田中美術館:
http://www.city.ibara.okayama.jp/denchu_museum/index.html
(20100929-o1)
入口の所には「東京都指定旧跡 岡倉天心宅跡 旧前期日本美術院跡」の案内板がありました。
(20100929-o2)
案内には、「日本美術院は明治31年(1898)岡倉天心が中心になって「本邦美術の特性に基づきその維持開発を図る」ことを目的として創設された民間団体で、当初院長は天心、主幹は橋本雅邦、評議員には横山大観、下山観山らがいた。 活動は絵画が主で、従来の日本画の流派に反対し、洋画の手法をとり入れ、、近代日本画に清新の気を与えた。 この場所に立てられた美術院は明治31年9月に竣工した木造二階建で、南館(絵画研究室)と北館(事務室・工芸研究室・書斎・集会室)からなり、附属建物も2,3あったといわれている。明治39年(1906)12月に美術院が茨城県五浦に移るまで、ここが活動の拠点となっていた。 昭和41年(1966)岡倉天心史跡記念六角堂が建てられ、堂内には平櫛田中作の天心坐像が安置されている。」と記されています。
(20100929-o3)
六角堂の前には、岡倉天心史蹟記念堂建設委員会の讃辞が記された銘板が置かれてます。
(20100929-o4)
六角堂の扉には、厳重に鍵がかけられています。
(20100929-o5)
ガラス越しに岡倉天心坐像を拝見いたしました。
岡倉天心像は、平櫛田中が東京美術学校(現 東京芸術大学)からの依頼で制作され、現在も東京芸術大学内に安置されている座像の原型の腹から上半身が残された旨、岡山県市原市立田中美術館のホームページに記されていました。
(20100929-o5)
岡山県市原市立田中美術館:
http://www.city.ibara.okayama.jp/denchu_museum/index.html
2010-10-09 22:15
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コメント(2)
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ご訪問&niceありがとうございます。
また、お邪魔させていただきます。
by サフィー (2010-10-10 19:14)
森まゆみさんの地道な活動で、谷根千は脚光を浴びましたね。
by mwainfo (2010-10-11 21:49)